01 /
07 /
2021
海外借卵不孤独 拨云见日迎幸福
我们夫妻在送子鸟生殖医疗中心,接受卵子受赠,很幸运地植入第一次就怀孕并顺利生下健康的宝宝。心中只有无限感激。从最初的咨询、与捐赠者配对、胚胎植入、一直到怀孕,这求子路上一路走来,非常非常感谢送子鸟给予的支持与鼓励。
对我们夫妻来说,供卵是最好的治疗方法,供卵在日本根本是不可能的治疗项目,虽然一路上遭遇过各式各样的难关、崎岖坎坷,但最后来到台湾并且选择送子鸟真的是太好了。
在日本,接受不孕治疗的夫妇逐年增加,而我们夫妻也是其中一对。我们是40岁的日本夫妻,我们的求子路上总是失败收场,一路跌跌撞撞。治疗结果只是浪费时间、更浪费金钱。那时候的我们,哪怕只有一点点的可能,只要看见希望我们都肯去尝试,有好几年的时间在东京几间评价很高的生殖中心来回周旋。最后在东京某间被称为「最后一里路」的生殖中心做治疗,这间生殖中心从早上六点钟便开始有人潮排队,在那里排队夫妇的身影,强烈地表现出他们对「孕活」认真的态度。
后来,我和所剩无几的时间竞赛着、筹措吃紧的治疗费用、同时也和治疗失败产生的伤痛战斗着。我们深知每间生殖中心都竭尽全力地帮助我们,但是成绩却不甚理想。胚胎即便着床了,也没有照到心跳。即使换了一间生殖中心、换了一位医生、换了一位胚胎师,治疗的结果都一样,令人失望。然而,失败的原因是已届40的我无法否定的残酷现实-卵子老化。
老化的卵子不可能回春,我甚至想过如果20岁的时候有冻卵那就好了,但现实是我没有。
忍痛放弃自卵怀孕生子后,下一步我们考虑领养或是借卵。汇整了在部落格、网络论坛上大家分享各式各样的信息,进一步研究着。身为日本人的我们,在国外借卵可想而知是非常困难的事情,但是多亏了网友们细心分享的信息,有很多打头阵的网友们,分享了非常有参考价值的信息。虽然听信这些匿名素未谋面的网友之经验谈及意见是有些让人半信半疑,但像借卵这种敏感话题,在日本根本不可能于现实生活中请教周遭的亲友们呀。
经过一番网络搜寻后,我知道台湾、美国、泰国、西班牙等各国都有借卵的医疗项目,我开始深入研究各家生殖中心做比较。多方比较后,也和各国几间生殖中心取得联系,最后实际参访后,决定托付给送子鸟生殖中心。做好觉悟后,下一步等待我们的则是距离的考验。为了到台湾求医,必须从日本搭飞机到台湾。另外,不仅仅是医疗费,机票、住宿费、餐费都大大增加了开支。我们也需要自己在日本找到可以协助检查的医院。
不孕治疗有许多的困难、难关在等着我们,必须要一一去破关。不论是精神上抑或是体力上,对40岁的我来说都是莫大的压力。但重要的是,我没有放弃且一直坚持到最后,真的是太好了!
谢谢你们!
2.尝试多次自卵总是失败收场的妳,一路走过多少荆棘,不需后悔那些走过的路,相信每次的失败都成为妳的养份,让你更有勇气跨海来台尝试借卵。这得来不易的幸福都让借卵夫妻更加珍惜与孩子的缘份呢!
3.客户在送子鸟借卵的幸运密码:
客户分享日文原文
私たち夫妇は、幸运にも贵院(送子鸟生殖医疗センター)での1回目での卵子提供治疗で无事妊娠出产に至りました。本当に感谢の言叶しかありません。初回カウンセリングから始まり、ドナー选択、移植、妊娠までずっとサポートしていただき诚に有难うございました。私たち夫妇にとって常にベストな治疗を考えていただいた结果だと思います。日本では得られない治疗を求めて、様々なハードルはありましたが外国・台湾に渡り贵院を选択して本当に良かったと思っています。日本では不妊治疗を受ける夫妇は年々増えており、私たち夫妇もその1组でした。40代となった日本人夫妇の我々の治疗はずっと失败続きで、お金と时间を空虚に费やす结果となりました。少しでも可能性を広げるべく、何年间も东京の评判高い不妊治疗クリニックを探しては転院を缲り返しました。数年间お世话になった东京にある「最后の砦」と呼ばれる病院には朝6时から行列が出来、そこに并ぶ全ての患者さんの妊活に対する真剣さがヒシヒシと伝わってきました。
残された时间との闘い、自己负担となる不妊治疗费の捻出、治疗の痛みとの闘い。どの病院もベストを尽くしてくれましたが、结果は芳しくないものでした。着床しても、心拍确认することはありませんでした。病院、ドクター、培养士を変えても结果は同じ。その原因は、40代の自分自身の卵子老化にあることは否定できない现実でした。老化した卵子を若返らせることは出来ないし、20代の若い时に贮卵をして保存していればと思うこともありましたが、どれも不可能です。
次のステップとしては、自己卵での妊娠を谛めて养子縁组か卵子提供への移行となります。ブログや掲示板から様々な情报を集め、検讨しました。日本人の私にとって、外国で卵子提供を受けるという选択はハードルの高いものでしたが、先駆者の皆さんの経験谈は非常に参考になりました。颜も见たことのない匿名の人たちがサイトに书き込む経験谈や意见に耳を倾けるのも正直不安はありましたが、卵子提供というセンシティブな领域なので周囲に闻くわけにもいきませんでした。台湾、アメリカ、タイ、スペインなど様々な国で卵子提供を受けていることを知り、そこから病院検索が始まりました。
検讨后いくつかの病院にメールでコンタクトを取り、実际に海外に渡り病院に访问し、その中で贵院に托そうと决めました。覚悟は决めたものの、次は外国の病院に通院するという「距离」のハードルが待っていました。通院するためには日本から飞行机に乗る必要がありますし、治疗代だけではなく航空费ホテル代食事代など出费がかさみます。日本でバックアップ病院を自分自身で见つける必要もあります。
不妊治疗にはいくつもの困难・ハードルが待っており、それをクリアーしていかなければいけません。精神的にも体力的にも40代の私にとっては大変なことでしたが、谛めずに顽张って良かったです。
有难うございました。
对我们夫妻来说,供卵是最好的治疗方法,供卵在日本根本是不可能的治疗项目,虽然一路上遭遇过各式各样的难关、崎岖坎坷,但最后来到台湾并且选择送子鸟真的是太好了。
在日本,接受不孕治疗的夫妇逐年增加,而我们夫妻也是其中一对。我们是40岁的日本夫妻,我们的求子路上总是失败收场,一路跌跌撞撞。治疗结果只是浪费时间、更浪费金钱。那时候的我们,哪怕只有一点点的可能,只要看见希望我们都肯去尝试,有好几年的时间在东京几间评价很高的生殖中心来回周旋。最后在东京某间被称为「最后一里路」的生殖中心做治疗,这间生殖中心从早上六点钟便开始有人潮排队,在那里排队夫妇的身影,强烈地表现出他们对「孕活」认真的态度。
后来,我和所剩无几的时间竞赛着、筹措吃紧的治疗费用、同时也和治疗失败产生的伤痛战斗着。我们深知每间生殖中心都竭尽全力地帮助我们,但是成绩却不甚理想。胚胎即便着床了,也没有照到心跳。即使换了一间生殖中心、换了一位医生、换了一位胚胎师,治疗的结果都一样,令人失望。然而,失败的原因是已届40的我无法否定的残酷现实-卵子老化。
老化的卵子不可能回春,我甚至想过如果20岁的时候有冻卵那就好了,但现实是我没有。
忍痛放弃自卵怀孕生子后,下一步我们考虑领养或是借卵。汇整了在部落格、网络论坛上大家分享各式各样的信息,进一步研究着。身为日本人的我们,在国外借卵可想而知是非常困难的事情,但是多亏了网友们细心分享的信息,有很多打头阵的网友们,分享了非常有参考价值的信息。虽然听信这些匿名素未谋面的网友之经验谈及意见是有些让人半信半疑,但像借卵这种敏感话题,在日本根本不可能于现实生活中请教周遭的亲友们呀。
经过一番网络搜寻后,我知道台湾、美国、泰国、西班牙等各国都有借卵的医疗项目,我开始深入研究各家生殖中心做比较。多方比较后,也和各国几间生殖中心取得联系,最后实际参访后,决定托付给送子鸟生殖中心。做好觉悟后,下一步等待我们的则是距离的考验。为了到台湾求医,必须从日本搭飞机到台湾。另外,不仅仅是医疗费,机票、住宿费、餐费都大大增加了开支。我们也需要自己在日本找到可以协助检查的医院。
不孕治疗有许多的困难、难关在等着我们,必须要一一去破关。不论是精神上抑或是体力上,对40岁的我来说都是莫大的压力。但重要的是,我没有放弃且一直坚持到最后,真的是太好了!
谢谢你们!
日语咨询师Leslie评论
1.她们是2017年初来台的,当时因日本社会风气及舆论压力,对于大部分的日本夫妻来说,借卵是难以启齿的,无法向周遭亲友询问意见。再加上人生地不熟、语言也不通,心中难免不安,为消除心中的疑虑,夫妻俩在初诊前怀着惴惴不安的心情来到台湾参访我院,实际看到送子鸟真实存在,才放心决定在我院进行治疗。经过三年的努力,送子鸟渐渐被日本看见,不需要亲眼看见,透过电话、E-mail沟通后,就可以放心来院治疗了。2.尝试多次自卵总是失败收场的妳,一路走过多少荆棘,不需后悔那些走过的路,相信每次的失败都成为妳的养份,让你更有勇气跨海来台尝试借卵。这得来不易的幸福都让借卵夫妻更加珍惜与孩子的缘份呢!
3.客户在送子鸟借卵的幸运密码:
取出卵子 | 成熟卵子 | 正常受精 | 好囊胚 | 植入胚胎 | 结果 |
20 | 20 | 17 | 8 | 1 | 活产 |
客户分享日文原文
私たち夫妇は、幸运にも贵院(送子鸟生殖医疗センター)での1回目での卵子提供治疗で无事妊娠出产に至りました。本当に感谢の言叶しかありません。初回カウンセリングから始まり、ドナー选択、移植、妊娠までずっとサポートしていただき诚に有难うございました。私たち夫妇にとって常にベストな治疗を考えていただいた结果だと思います。日本では得られない治疗を求めて、様々なハードルはありましたが外国・台湾に渡り贵院を选択して本当に良かったと思っています。日本では不妊治疗を受ける夫妇は年々増えており、私たち夫妇もその1组でした。40代となった日本人夫妇の我々の治疗はずっと失败続きで、お金と时间を空虚に费やす结果となりました。少しでも可能性を広げるべく、何年间も东京の评判高い不妊治疗クリニックを探しては転院を缲り返しました。数年间お世话になった东京にある「最后の砦」と呼ばれる病院には朝6时から行列が出来、そこに并ぶ全ての患者さんの妊活に対する真剣さがヒシヒシと伝わってきました。
残された时间との闘い、自己负担となる不妊治疗费の捻出、治疗の痛みとの闘い。どの病院もベストを尽くしてくれましたが、结果は芳しくないものでした。着床しても、心拍确认することはありませんでした。病院、ドクター、培养士を変えても结果は同じ。その原因は、40代の自分自身の卵子老化にあることは否定できない现実でした。老化した卵子を若返らせることは出来ないし、20代の若い时に贮卵をして保存していればと思うこともありましたが、どれも不可能です。
次のステップとしては、自己卵での妊娠を谛めて养子縁组か卵子提供への移行となります。ブログや掲示板から様々な情报を集め、検讨しました。日本人の私にとって、外国で卵子提供を受けるという选択はハードルの高いものでしたが、先駆者の皆さんの経験谈は非常に参考になりました。颜も见たことのない匿名の人たちがサイトに书き込む経験谈や意见に耳を倾けるのも正直不安はありましたが、卵子提供というセンシティブな领域なので周囲に闻くわけにもいきませんでした。台湾、アメリカ、タイ、スペインなど様々な国で卵子提供を受けていることを知り、そこから病院検索が始まりました。
検讨后いくつかの病院にメールでコンタクトを取り、実际に海外に渡り病院に访问し、その中で贵院に托そうと决めました。覚悟は决めたものの、次は外国の病院に通院するという「距离」のハードルが待っていました。通院するためには日本から飞行机に乗る必要がありますし、治疗代だけではなく航空费ホテル代食事代など出费がかさみます。日本でバックアップ病院を自分自身で见つける必要もあります。
不妊治疗にはいくつもの困难・ハードルが待っており、それをクリアーしていかなければいけません。精神的にも体力的にも40代の私にとっては大変なことでしたが、谛めずに顽张って良かったです。
有难うございました。
其他文章
02 /
26 /
2024
冻卵咨询陪伴 提供疗程方案建议
01 /
16 /
2023
我的求子路,一点都不勇敢!
09 /
29 /
2022
试管群组互打气 给妳信心一起接好孕
09 /
15 /
2022
送子鸟宝宝回娘家