走了很远的路,终于遇见你

这对夫妻经历了在美、日共 10 次取卵与多次植入失败的艰辛历程,年过 40 的她偶然看到送子鸟的借卵广告,最终选择来到台湾送子鸟生殖中心进行疗程。经由医疗团队搭配免疫调整与 ERA 精准检测最佳植入时间,第二次植入成功著床,并于 2025 年顺利活产健康男宝。
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2026-10-16 2026-10-16
作者 客户分享

送子鸟海外客户,透过借卵完成了植入多次失败的求子梦!

 

时候到了,孩子就会降临吧?

我究竟是从什么时候开始,真心想要一个孩子的,其实自己也说不清楚。但当我下定决心「要开始不孕治疗吧!」的时候,回过神来,已经超过 40 岁了。

30 多岁的我,一直抱持著「孩子是上天赐予的礼物」这样的刻板印象。身边也有不少朋友很早就开始接受不孕治疗,但我总是提不起劲,即使被劝说也只是抱著「不用了吧...要自己往肚子裡打针也太可怕了吧?」这样程度的想法。

现在回头看,确实会有一点后悔,如果能早一点开始治疗就好了...。
但即便如此,当时的我仍然误以為:就算已经 40 岁以上,只要到不孕诊所治疗,很快就能怀孕。

 

崎岖的不孕治疗之旅

因為是国际结婚、长期居住在美国,我的不孕治疗之旅,从美国开始。在美国 2 次、日本 8 次,总共 10 次的取卵,分别在 3 家不同的诊所进行。那段时间,我的脑中其实是一片混乱。过去的人生,只要努力就能看到成果,但在不孕治疗这件事上却不是这样:无论自己多么拚命,却始终看不到一丝光明。

不只是心理上的负担,每一次取卵、植入、PGT-A 检查,钱都像瞬间消失一样,我对金钱的感觉也渐渐变得麻木。辛苦工作多年存下来的积蓄,以惊人的速度减少。

我会走进送子鸟东京办事处,是在东京某间知名诊所取卵后,被告知「一颗正常胚胎都没有」那是我整个治疗历程中,成绩最差、也最难以接受现实的一次。每一次我都在心裡祈祷:「下次一定会成功...下次一定会...」而我也早已习惯听到类似「这次也不行呢,不过这个年纪也是没办法的事。」这种说不清是安慰还是什么的话。

就在我非常认真地烦恼著:「是不是该继续?还是该放弃?」的时候,我看到了送子鸟的宣传资料,上面清楚列出了有根据的数据,让我第一次真正意识到,我一路走来的选择,在某种程度上是多么艰难、甚至近乎冒险。原来,在我这个年龄,要走到能怀孕的正常胚胎,需要这么多受精卵...这件事让我非常震惊。
同时我也第一次清楚知道,影响是否能从著床 → 怀孕 → 顺利生产的,并不只有胚胎本身,「免疫」等其他因素也扮演著极為重要的角色。

当然,这并不是一个可以当场立刻下决定的选择,但我开始看到一丝希望,「如果选择借卵,即使不是我的卵子,也能延续先生的 DNA;也许,我能亲手抱著那个孩子,和他一起养育、组成我们的家庭...」

之后的几个月,我和先生反覆讨论。就在我们想著「要不要先填写初诊登錄书看看」的时候,正好收到了一封来自送子鸟的邮件。
不只是时机刚好,更重要的是,那封信完全没有任何推销的感觉。那一刻,我觉得自己已经准备好,能够往前走了。

其实,我的婆婆(先生的母亲)也很担心我们长期治疗却始终没有结果,曾经问过:「那领养呢?」这和美国相较于日本比较开放的想法,以及对收养、再婚家庭接受度较高的文化背景有关,但她对我说的一句话,成了我迈向借卵的重要契机:「如果你想要一个属于自己的家庭,就要去思考,要用什么方式、怎么去建立那个家庭。」

即便如此,现实中这仍然不是一个简单的决定。
要从美国到日本、再到台湾,意味著必须暂时离开工作。我不断对自己说:「工作我喜欢,但工作可以有人替代;孩子不一样,这只有我能做到。」

另一个让我放不下的,是我的亲生母亲。怀孕初期我住在娘家,母亲陪我往返 Backup 诊所,也照顾我度过严重的孕吐期,但她一开始,是强烈反对借卵的。

一直站在我身边支持我的她,带著无奈的表情对我说:「真的要做到这种地步吗?」
那一刻,我受到很大的打击,即使选择借卵,也没有任何保证一定能怀孕;身為母亲,她的反应我并非无法理解;我也知道,有些夫妻在考虑借卵后,最后仍然得出「好像不太对劲」的结论。

怀抱著家人之间複杂的情感,我踏上了前往台北的旅程,以我过去的治疗成绩来看,不安是理所当然的。只是后来我才知道,当时我先生的心情其实只有一句话:“Let’s do this!!”

 

充满希望,但还是差一步

抵达台北的隔天,我在送子鸟诊所看到的景象,至今仍清晰地留在脑海中。不论是台湾、日本的工作人员,还是来看诊的客户,脸上都带著明亮的表情,这让我非常震撼。

在日本的不孕诊所裡,客户大多神情疲惫、低著头——我自己也是其中之一,彷彿对「正在接受不孕治疗」这件事感到自责,诊所裡总有一种沉重、压抑的气氛。而送子鸟明亮整洁的空间与氛围,给了我希望。加上在初诊前就已经透过多次细心的电子邮件往来,我在踏入诊间前,已经能对自己说一句:「再一次,相信自己的身体吧。」

初诊后,找到符合期待的捐卵者花了几个月时间,当得知 22 颗冷冻卵子中,有 16 颗成功正常受精,那是我用自己的卵子从未想过的数字,我立刻打电话给先生,和他一起分享这份喜悦。过去我们每一次都会对自己的胚胎进行 PGT-A 检查,但这一次,考量到受精卵数量以及捐卵者的年龄,我们选择不进行 PGT-A。

原本应该可以很快进入移植阶段,但因為我计画回日本生产,必须取得长期离开美国的簽证,而申请早在初诊前就已提出,但和预期一样,等待簽证核发足足花了 15 个月,这段时间显得异常漫长。实际上,从我第一次寄信联络送子鸟,到第一次植入,已经过了整整两年。

满怀希望的第一次植入,却和以往一样,没有成功。早在植入前的抽血中就已发现,我的免疫系统存在问题,虽然在日本的 Backup 诊所确认著床,但胚胎后续未能成长,HCG 数值没有上升,并伴随数次出血,最后只能接受放弃的结果。

第一次借卵植入失败,因為期待太高,反而带来一种前所未有的失落感,我只是茫然地站在原地,我没能好好向父亲说明结果,或许他也无法理解状况。他从植入后开始主动帮我提重物,我却忍不住对他喊:「已经不用了,别这样!」。那大概是我人生中第一次,用那样的态度对待父亲,也正是在那一刻,我的眼泪终于止不住,真正接受了残酷的现实。

我打电话给在美国等著我的先生,讨论接下来该怎么办,但具体说了什么,我已经记不清了。我们一度决定:「就在这裡结束吧,心理上已经撑不下去了,以后两个人好好生活就好。」但先生对我说:「钱我会想办法,还有冷冻的胚胎,再试一次,好吗?」一直以来,个性与我截然相反的他,总是在关键时刻拉住我。那一刻,我才发现,其实自己仍然不想放弃。

 

手忙脚乱的甜蜜挑战

基于第一次的结果,送子鸟為第二次植入提出了数种全新的治疗方案,也详细说明了各自的优缺点。因為对我而言都是陌生的疗法,我反覆查资料、反覆提问。就在那时,负责人员建议我阅读「客户经验分享」。

我第一次看到那么多案例,并非每个人一次就成功,而是经历第二次、第三次,最终迎来孩子。我告诉自己:「不能因為一次失败就停下来。」个性好胜的我,早已调整心情,准备迎接下一次。為了第二次植入,我先进行了约 3 个月的免疫调整治疗,也因為暂时无法立刻植入,我首次接受了 ERA 检测。结果发现,我的著床窗竟然偏差了 10 个小时。根据这个结果,第二次在台北的植入时程也重新调整。这一次,我提前几天抵达台北,进行免疫调整的点滴与注射,万全准备后,迎来植入。

然后,在植入后约 37 週,我终于见到了梦寐以求的孩子。

客户旅程图:海外多次植入皆失败,因缘际会看到送子鸟的借卵广告而进入疗程,历经一次的植入失败,透过免疫调整与ERA检验后,顺利产下男宝宝!

36 週的超音波结果不理想,剖腹产时间提前;生产后数小时又突然大量出血,是我人生第一次接受输血。
但看著平安诞生的孩子,内心只有满满的爱。

怀孕期间,确实有过一段时间,心理上无法完全说出「这是我的孩子」,但从怀孕 7 个月开始,每天反覆感受到胎动,那些念头自然消失了。那几个月,真切感受到一个小生命在自己体内成长的感觉,是无法用言语形容的。

儿子出生时体重不足 2,500 公克,但在 40 天后已超过 4,000 公克。第一次育儿手忙脚乱,但和走到这裡的漫长旅程相比,真的不算什么。

我现在打从心底觉得:忠于自己的心向前走,真的太好了。
相信送子鸟,真的太好了。

衷心感谢你们。

 

原文(日文)

その时が来れば、きっとわが子に出会えると思っていた

私が赤ちゃんが欲しいと真剣に考えるようになったのはいつからだったのかは定かではありませんが、不妊治疗を始めよう!と决心した时、気が付けば40歳を过ぎていました。

30代の顷の私は、赤ちゃんは授かりものという先入観があり、周りに早くから不妊治疗をしている友人や知り合いもおりましたが、なんとなくピンと来ず、勧められても、『いや、私はいいや。だって自分のお腹に注射するなんてとんでもない?』というレベルの考え方でした。

いま思うともっと早くから治疗を初めていれば。。。と少し后悔していますが、それでも当时の私は40歳を过ぎていようと不妊専门のクリニックで治疗をすればすぐに妊娠するだろうと大きな勘违いをしていました。

 

长く険しい、不妊治疗の道のり 

私ごとですが国际结婚でアメリカに滞在している為不妊治疗の旅はアメリカのから始まりました。アメリカで2回、日本で8回の计10回の采卵を3か所のクリニックで経験しましたが、私の头の中は当时かなり混乱していました。それまでは努力すれば结果が付いてきた人生でしたが、不妊治疗に関しては自分なりにどんなに顽张っても一向に明るい光が见えてこないのです。

精神的な负担だけではなく、采卵、移植、PGT-Aテストの度にお金が一瞬でなくなるという现実に自分の金銭感覚もおかしくなり、地道に働いて贮めてきた贮金はものすごい势いで消えていきました。

私がコウノトリさんの东京オフィスに出向いたのは、东京の某有名クリニックでの采卵后、『正常胚が1つもない。』というこれまでの治疗の中で最も成绩が悪く、现実を受け止めるのが难しい时でした。毎回、次こそは、次こそは。。。と愿いながらも、『今回もダメでしたね、でもこの年齢なら仕方ないですよね。』という様な、慰めなのか何なのか分からない言叶を闻くことにも惯れてきている自分がいました。

 

このまま不妊治疗を続けるべきか、もう谛めて止めようか?を真剣に悩んでいる私にとって、コウノトリさんのパンフレットにはきちんと根拠のある数字があり、自分が选んできた道がある意味无谋で、どれだけ大変な道だったのかを初めて思い知らされました。私の年齢で妊娠できる正常胚へたどり着くためには、こんなに受精卵が必要なのか?と惊きました。

そして胚盘胞以外にも免疫や他の要素が、着床→妊娠→出産まで継続出来るのかに大きく関わっていることも知りました。

 

もちろんその场ですぐ申込みが出来るような简単な决断ではありません。『卵子提供という选択なら私自身の卵ではなくても、夫のDNAを受け継いだ赤ちゃんがこの世に诞生し、可爱い赤ちゃんを私の手で抱くことが出来2人で一绪に育てていける可能性がある、家族を増やすことも出来るので?』いう希望が见えました。

そこから数か月の间何度も夫と话し合いをし、とりあえず『初诊の登録书』を作成してみようかと动き出した时期にちょうど1通のメールがコウノトリさんから届きました。タイミングが合っただけではなく、一切営业的な空気を感じず、私はすんなり前に进む心の准备が出来たと感じた瞬间でした。

旦那の実母、つまり私の义理の母も私たちが不妊治疗をしてもなかなか结果が出ないことを心配しており、养子はどうなの?と勧められたことがありました。これはアメリカが日本に比べ养子縁组や连れ子同士の再婚が珍しくないという、家族构成が複雑な家庭が多事実背景もありますが、彼女に『自分の家族が欲しいなら、どうやって、どんな方法でその家族を作るかを考えなきゃね!』と前向きに言われたことも卵子提供の道へ进むきっかけをくれました。

ただし现実的には简単な决断ではありませんでした。

アメリカから日本、そして台湾へ向かうためには、ここで一旦仕事を离れる决断が必要でした。『仕事は好きだけど仕事は自分以外に谁か変わりがいる。でも赤ちゃんは别、私にしか出来ない。』と自分に言い闻かせました。

もうひとつの気がかりは私の実母でした。妊娠初期は実家に滞在しており、バックアップクリニックへの送り迎えや、つわり期もお世话になりましたが卵子提供には当初大反対でした。いつも味方でいてくれた彼女に『そこまでして欲しい?』とあきれた様な表情で言われた时はさすがにショックでした。

卵子提供の道を选んだとしても妊娠出来るかどうかの保証はありませんし、実母としての彼女の反応も全く理解出来ない訳ではありません。卵子提供を検讨するものの、『なんか违うよね。』という结论に至った别の夫妇も存じています。

家族の中でも複雑な想いを抱えながら台北へ向かうことになりました。これまでの自分の不妊治疗の成绩を见ても不安がないはずがありません。ただ今更ながら夫に当时の心境を闻いたところ “Let’s do this!!” だったらしいです。

 

希望を感じながらも、あと一歩届かず

台北に到着した翌日、コウノトリさんのクリニックで私が目にした光景はいまでも鲜明に覚えています。台湾、日本のスタッフの方々、そして何より患者さんたちの表情が明るい事に本当に惊きました。

日本の不妊治疗クリニック内では患者さんは疲れた表情で目线は下、そして私がそうだったのですが、不妊治疗に通っていることに负い目を感じているのか、どことなく何かよどんだ雰囲気があるのです。それが普通と思い込んでいた私にコウノトリさんのきれいなオフィスと明るい雰囲気が私に希望を与えてくれました。そして何より初诊の前から细かいメールのやり取りを何度もしていたおかげで、これからの治疗、そして大切なことは、自分の身体をもう一度信じてみよう!と思える状态になっていました。

 

初诊を终えた后希望に合うドナーさんに出合うまでに数か月かかりましたが、22ケの冻结卵子のうち16ケが正常受精するという自分の卵子では考えられない结果を顶いた时は、夫にすぐに电话し喜びを分かち合いました。これまで自分たちの受精卵に対しては毎回PGTーAテストを行ってましたが、今回はこの受精卵の数とドナーの方の年齢を踏まえ、PGT-A検査は行わないという选択をしました。

通常の流れですとこの后にすぐに移植へと进めるのでしょうが、私は日本での里帰り出産を予定していた為アメリカを长期间离れるための许可証となるVisaを取得しなければならない课题がありました。申请自体は初诊前に済ませていたのですが、予想していた通りVisaが下りるまでに约15カ月かかり、この期间がとてつもなく长く感じました。実际コウノトリさんへ最初の问い合わせのメールをしてから1回目の移植までにすでに2年もの歳月が流れていたのです。

新しい希望に満ちた台北での1回目の移植は、期待とは里腹にこれまでの不妊治疗同様うまく行きませんでした。移植前の血液検査ですでに分かっていたことなのですが、私の免疫机能に问题がありました。日本のバックアップクリニックで着床の确认は出来たものの、その后胚の成长も止まりHCGの数値の増加が见られず、数度の出血があったのち谛めるしかない结果となりました。

『今后こそは。。。』と初めて临んだ卵子提供での移植は期待が大きかった分、これまでとは异なる种の丧失感で自分が情けなくなり、ただただ茫然となっておりました。父亲に结果をうまく伝えることが出来なかった為に彼も状况を呑み込めなかったのでしょう。移植后から始めてくれた、私の代わりに重たい荷物を持とうとしてくれた父亲の行动に、『もう必要ないから、やめて!』と思わず叫んでしまいました。私が父に対しあのような态度を取ったのは多分人生で初めてだったと思いますが、そこでようやく涙が止まらなくなり、それと同时に辛い现実を受け止めた瞬间でした。

アメリカで待ってくれている夫に电话をし。今后どうするのか?という事をきっと话したのでしょうが、细かい会话の内容は覚えておりません。もうここで治疗を终えたい。これ以上は精神的に难しい。これからも2人で仲良く夫妇で生きていこうね。という流れに一时はなったのですが、夫から『お金はどうにかするし、まだ冷冻している胚盘胞があるのだから、もう1回だけ顽张ってみないか?』と提案されました。これまでも私と性格が正反対の彼に何度助けられたか分かりませんが、そう言われた时に私もまだ谛めたくないという思いがあることに気が付きました。

 

忙しさも爱おしい、幸せな日々

1度目の移植の结果を踏まえ、2度目へ向けては全く新しい治疗法をコウノトリさんから数种类ご提案顶きました。それぞれのメリット、デメリットも丁宁に説明してもらったのですが、私にとっては全く未知な治疗法だったので、自分でネットで情报を集めては质问を缲り返しというやりとりが続きました。そしてこの时に、担当者の方から勧められた-患者さんの体験记-を初めて読みました。

世代が违うにせよ、全员が1回目でうまく行ったわけではなく、2回目以降に出産まで至った実例の多さを知るのです。『1回ダメだったくらいで谛めて立ち止まっている时间はないな。』と単纯で负けん気の强い性格の私はすでに次回の移植へ向けて気持ちを切り替えていました。

2度目の移植に向けてまずは约3カ月间、免疫调整の薬を饮む必要がありました。すぐに移植出来ないということがプラスの材料となり、勧められてたERAテストを初めて受けました。このテストの存在自体は知っていましたが、これまでは踏み切ることはありませんでした。いま思うとこの选択も功を奏したのだと思います。実は着床の窓が10时间もずれていたことが判明したのです。これを元に台北での2度目の移植スケジュールも调整してもらいました。前回と异なり。移植日より数日前に台北へ渡り、免疫调整をする点滴や注射も打ち、准备は全て整っていました。

 

そしてついに移植から约37週后の先日、念愿の我が子に出会えました。

 

36週の超音波検査の结果が良くなく予定日より帝王切开の手术が前倒しとなったり、出産数时间后に急に大量の出血があり人生初の输血も経験しましたが、无事に産まれてきた我が子が爱おしくてたまりません。

妊娠期间中、心理的に『私の子』と言い切れない时期があったのは事実です。でも妊娠7か月顷から毎日何度も胎动を感じ始めると、もうそんな事は気にならなくなりました。自分の身体の中で小さい命が育っていると感じられた、あの数か月の感覚は言叶では表现出来ません。

2500g以下で小さく生まれた息子でしたが、0歳40日で体重は4000gを超えました。初めての惯れない育児は思い通りにいかない事ばかりですが、我が子に逢えるまでの道のりに比べたら何てことない気がします。

 

いま心から思うことは、自分の気持ちに正直に进んで良かった。

コウノトリさんを信じて良かった。ということです。

本当にありがとうございました!!

*医疗行為需与医师讨论进行,本篇文章仅反映当时治疗状况与建议

评论

Michi
Michi

这对夫妻在美国及日本接受了多次取卵与植入治疗,但一直未能成功。经历了重複的挫折,以及夫妻与家人之间的苦恼与矛盾后,他们最终来到送子鸟接受借卵,并结合免疫调整与 ERA 检测,最终顺利著床,完成了怀孕和生产,真的非常开心。我们也由衷祝福您们!恭喜!

1. 高龄与自卵的期限限制

40 岁以上的女性,卵子库数量会减少,染色体异常的机率也会提高。面对多年治疗仍无结果的情况,选择借卵是一个合理且对的选择。

2. 免疫调整与著床策略

第一次植入没有成功,但得到了重要的免疫诊断资讯。第二次植入前,他们进行了免疫调整和 ERA 检测,并根据检测结果调整了最佳植入时间,这次终于顺利著床。

3. 跨国治疗与支援

他们治疗跨越美国、日本和台湾,过程中需要处理簽证、工作安排,以及心理上的压力。在送子鸟生殖中心,有日语咨询师团队全程支持让客户可以在台湾安心完成治疗。

卵子

正常受精

囊胚

          植入颗数・PGS

              结果


  22


      16


  9

                    2颗
培养第5天 4BC(PGS未检胚)
培养第5天 4BC(PGS未检胚)


2025年已活产健康男宝